【これからの健康経営を考える】後編

教えて吉田先生!

前回の記事(中編)はこちら

※インタビューは2020年4月6日に都内にて行われました。

(聞き手:株式会社スーツ 代表取締役 小松 裕介)

目次

【健康経営の企業事例】

―――健康経営に取り組む企業の事例はどうやって探せばよいでしょうか。

事例を検索すると広告がたくさん出てきますので、今日は、事例探しの際に参照すべき公的サイトや、ベンチマークする企業の探し方について、お話ししたいと思います。

(1) 健康経営研究会から事例を探す

ご存じ「健康経営®」の商標権を持つ健康経営研究会。2006年に大阪で設立されたこの団体は、我が国における「健康経営」の定義づけや学術的方向性、それに普及実践活動を担ってきた歴史ある特定非営利活動法人です。(健康経営研究会

事例として公開されているケースは多くありませんが、協賛企業一覧などからは、どういった企業が健康経営に積極的に取り組もうとしているのか、を垣間見ることができます。

(2) 経済産業省サイトから事例を探す

健康経営の行政サイドにおける旗振り役、経済産業省のサイトから検索しても、次々と新しい知見や事例が見つかることでしょう。

経産省のサイトを深読みしていくと、なぜ同省が健康経営や健康投資を通じて、産業育成や健康経営基準の海外展開を狙っているか、などの背景も理解しやすくなるかと思います。(健康経営(METI/経済産業省)

(3) 厚生労働省サイトから事例を探す

第10回「厚生労働省の取組みについて」でお話ししたように、同省は、2015年度から開始した「データヘルス」の取組みは経済産業省の「健康経営」と"車の両輪"である、 と位置づけています。

2017年に厚生労働省が公表した「コラボヘルスガイドライン」では、コラボヘルスの実践事例が企業名と共に掲載されていますので、大いに参考になるかと思います。

(4) 協会けんぽや商工会議所のサイトから事例を探す

中小企業の場合、単年計画で健康経営優良法人を目指のはハードルが高いと思われます。

都道府県の協会けんぽに加入しているのであれば、まずは「健康優良企業」の認定取得を目指すのが現実的です。また商工会議所も専門家派遣制度などを通じた健康経営支援メニューを用意してくれていますので、各種事例も参考にしながら活用できると思います。

コメント 2020-07-21 090336

東京 | 都道府県支部 | 全国健康保険協会

(5) ベンチマーク企業の選び方

基本的には上記サイトなどを参照し、業種、業態、規模感などを参考に「真似できそうな好事例に、自社でも取り組んでみる」というスタンスで良いかと思います。

健康経営は長期に亘る組織風土の改善活動ですので、最初は手探りで戸惑うことも多いでしょうが、重要なのは経営層のコミットメントであり、中間管理職による支援だと言われています。

自社の人的経営資源を豊かにして、各ステークホルダーや株式市場から正しく評価を受けるために、情報収集に努めていただきたいですね。

【健康経営における女性への取組みについて】

―――健康経営における女性への取り組みに関して教えてください。

経済産業省が2018年4月に公開した「健康経営についての取組」の中で、健康経営銘柄や健康経営優良法人の認定基準に「女性の健康保持・増進に向けた取り組み」が明記されています。

健康経営に関する実務者連絡会への参加者アンケートでは、健康経営を積極的に推進する企業においては、特に女性特有の健康問題対策に高い関心が寄せられていることが明らかになりました。

従来の、メタボリックシンドロームなど男性従業員を中心とした対策だけでなく、今や労働者の半数近くを占める女性従業員への健康支援により、組織を活性化していこうという意図です。

例えば、月経随伴症状などによる労働損失だけでも5000億円近い、と試算されていますし、厚労省も力を入れている「治療と仕事の両立支援」の分野では、女性のがんサバイバーへの支援に関しても言及されていますね。(治療と仕事の両立について

年齢的には50代前半までは女性の方ががん罹患率が高く、その後は男性が逆転して、一生では男性がん患者さんが多くなりますが、職場で働く年齢層で言うと女性が圧倒的多数となります。

コメント 2020-07-29 114935

つまり女性のがんの場合は罹患年齢が比較的若く、かつ長期に亘り「治療と仕事の両立支援」が必要となりますので、企業には女性の健康支援に関するリテラシー向上が求められる、ということですね。

コメント 2020-07-29 115154

【健康経営の民間サービスの紹介(1)保険など】

―――健康経営に役立つ民間サービスに関して、注目しているサービスがあれば教えてください。

「健康経営」の概念は英語の「ヘルシーカンパニー」に由来するとされているように、従業員の健康や組織の健全性、また事故や疾病を含むあらゆる経営リスクの観点からは、保険との親和性が高くなるのは自然な成り行きと言えます。

本日は私の知る限り、との前提ではありますが、健康経営に関連する保険業界の動向や、注目しているサービスに関してお伝えできれば、と思います。

その1:GLTD

まず、日本でも保険商品として25年ほど前から販売されている、「団体長期障害所得補償保険」(GLTD:Group Long Term Disability)が挙げられます。最近は個人向けプランの「就業不能障害保険」という商品の方が、一般の方には浸透しているかもしれません。

我が国においてGLTDは、会社側が従業員への福利厚生の一環として全社的に加入するケースが多いものの、肝心の加入率は2割ほどと言われています。米国の場合は、全社加入ではない場合もあるのでGLTDとは呼ばず、LTDと言うようですが、中規模以上の企業において約9割がLTDのプランを備え、かつ事業主がそのコストを負担しているケースが6-8割とのことです。

この差異の背景には日米の社会保障制度や雇用慣行の差があり、一概にどちらが良いと断じることはできません。しかし今後、日本でもジョブ型雇用が広まったり、解雇ルールの見直しなどが浸透すると、労働者側で就労不能リスクに対する意識が高まる可能性があると見ています。

ともあれ「心身共に良いコンディションで、長く幸せに社会参加する価値」への意識が高まることは、まさに健康経営が目指す姿ではないでしょうか。

その2:健康増進型保険

次に注目しているのが、健康増進型保険と呼ばれる商品群です。

現状では広告などで目につくのは個人を対象とし、平均歩数や健康診断結果の改善度に応じて保険料を割り引くなどの特典を付与したものが中心ですが、昨年から団体向けプランが販売されています。

保険料を負担する企業が健康経営に取り組み、従業員やその家族が健康で幸福に暮らせる、その結果として健康リスクが低減されるので、保険料も割り引かれる、という発想です。今後こういった保険商品間の競争が生まれれば、より精緻な「健康投資の見える化」が進むと思われ、これは経済産業省が健康投資管理会計ガイドラインを整備する上で想定した「健康経営の自走化」にも合致するものと考えています。

健康投資管理会計ガイドライン20200612を拡大表示
コメント 2020-08-18 060434を拡大表示

その3:健康エンプロイアビリティ支援

最後にご紹介するのが、サービス概念としては固まりつつあるものの、まだ名前がついていない、敢えて言えば「健康エンプロイアビリティ支援」とでも言いましょうか。この言葉、いま話しながら思いついたので©吉田、でお願いしますね(笑)!

まずはエンプロイアビリティの用語からですが、これ自体は新しい言葉ではなく、20年近く前の厚生労働省の定義によると「労働市場価値を含んだ就業能力、即ち、労働市場における能力評価、能力開発目標の基準となる実践的な就業能力」とされています。その具体的な内容のうち、労働者個人の基本的能力は、以下のように定義されています。

A 職務遂行に必要となる特定の知識・技能などの顕在的なもの
B 協調性、積極的等、職務遂行に当たり、各個人が保持している思考特性や行動特性に係るもの
C 動機、人柄、性格、信念、価値観等の潜在的な個人的属性に関するもの
が考えられる。

このインタビューシリーズは健康経営をテーマにお話ししていますが、人生100年時代を前に、稼働能力とは無関係な指標である年齢による一律の退職がいずれ日本でも禁止される可能性を考えると、上記ABCの能力の基盤として、必然的に「健康」がクローズアップされてくると思いませんか?

現時点で既存のサービスとして注目しているのは、日本経済新聞社による「日経歩数番」です。私の理解ですが、このサービスは「毎日きちんと日経のニュースを読み、かつしっかり歩いているビジネスパーソンは、年齢にかかわらず価値が高い」との思想に基づいて設計されていますね。サイトにも「知力」「体力」「生涯現役」などの言葉が並んでいます。

我が国のビジネスパーソンのデフォルトメディアである日経がこのサービスを展開していることは非常に興味深く、今後のインセンティブ付与の方法論の変化なども含めて、引き続きウォッチしていきたいと考えています。

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【健康経営の民間サービスの紹介(2)SaaSサービスなど】

―――引き続き、健康経営に役立つ民間サービスに関して、今度はSaaSを中心に教えてください。

ユーザーである企業側からすると、自社の従業員の健康関連情報や健康診断の進捗状況、それに最近はストレスチェックなどの個人情報を、クラウド上に保管することに対して及び腰であった時期が長くありました。

ようやくここ数年、給与計算や労務管理などの分野のクラウド化と歩調を合わせて、従前のオンプレミス型サービスからSaaSに移行してきている状況です。

こちらも私の知る限り、との前提ではありますが、健康経営に関連するSaaS業界の動向や、注目しているサービスに関してお伝えできれば、と思います。

その1:健康診断や保健指導管理のSaaSサービス

国際的に見ても、我が国では早くから職場での健康診断が義務づけられていたため、インターネットが普及する以前より、書類ベースでのアナログ的な手法で従業員の健康情報が管理されていたことは、容易に想像がつくと思います。

2000年代中盤以降にSaaSの概念が広がるずっと以前から、企業の健康管理部門を顧客とする、健康診断や保健指導管理サービスは存在していましたが、当然それらは、今で言うオンプレミス型のサービスで、健康診断の結果データの取り込みも不十分なままでした。

これらのサービスは主に商社やインフラ企業系のIT企業が開発し、最近はベンチャー企業も参入して、業務のIT化やペーパーレスに合わせ、SaaS化がスピードアップしてきているようです。

その2:パルスサーベイ

次が、やや手前味噌にはなりますが、弊社も開発・提供してるパルスサーベイです。こちらはウォール・ストリート・ジャパンのTwitterリンクですが、日付に注目してください。2014年12月の記事、と言うことは、2015年12月に日本で労働安全衛生法改正に基づきストレスチェックが義務化される、ちょうど1年前ですよね。

我が国では「年1回以上、57問のアンケート結果を集団分析して職場風土改善に結びつけましょう」と謳うストレスチェックですが、米国のトレンドはずっと先を行っていて、社員の個別の声を、短いスパンで定点観測的に収集し、職場改善に活かし始めていた、と言うことですね。

これだと圧倒的に速いスピードで社員の声をダイレクトに集められますし、個別の対応もはるかに簡単になります。

そもそも職場のストレスの多くが業務内容や量、それに職場の人間関係である以上、ストレスチェックの高ストレス者対応のフローに任せても、「傷みつつある」社員に正しくアプローチすることは難しいのが現実です。

むしろパルスサーベイのような頻回の記名式アンケートを導入し、人事部門が主導して産業保健スタッフがフォローするという形が望ましいように私は思います。

弊社で開発したパルスサーベイの場合、人事労務スタッフと産業保健スタッフの両者が、協力しながら社員の課題解決にあたることを想定しています。

その3:AIチャットボット

最後に挙げるのが、個人的にもかなり期待しているAIチャットボットサービスです。欧米でも日本でも研究が進んでいるようで、特に米国ではベンチャーキャピタルからの資金調達も盛んに行われています。

例えばハリウッド映画には、頻回に「精神分析医との面談」のシーンが出てきますし、欧米のビジネスの世界では「コーチング」が受け容れられていて、病的な悩みであれビジネス上の悩みであれ、専門のカウンセラーに相談する、という文化が確立しているように思えます。おそらく、教会での告解のように自分の心の奥深い悩みを他人に聞いてもらう習慣があることが、影響しているものと思われます。

翻って日本では、メンタルヘルス問題で専門的なカウンセリングを受けることに抵抗感を持つ方が、圧倒的に多い。しかし「対人間」だと悩み相談に心理的な抵抗を感じる人も、「対機械」や「対AI」であれば「これを打ち明けると相手にどんな風に思われるだろう」などの忖度は不要ですから、良い意味で割り切って、カジュアルに相談できるはずです。

例えば、我が国における認知行動療法の大家で、国立精神・神経医療研究センターで認知行動療法センター所長を務められた大野裕先生が「こころコンディショナー」というサービスを開発されています。AIチャットボットにもいろいろな開発パターンがあるでしょうが、AIがクライアントの悩みに自然言語で回答可能になるまでにはまだまだ時間がかかると思われますので、現時点では認知行動療法のスキームでAIが初期対応し、一定レベル以上の悩みであれば、臨床心理士や保健師・産業医・精神科医に引き継ぐ、というサービスが現実的に思われます。

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【エビデンスに基づく健康施策とは?】

(1) なぜエビデンスが大事なの?

―――まず、Evidence-based Medicineという言葉を一般にも聞くようになってきたように感じますが、その流れから教えてください。

はい、医療においてエビデンス重視の潮流が出てきたのは30年ほど前、1980年代から医学情報のデータベース化が進み、世界中の医療関係者がその情報にオンラインでアクセスできる、という情報技術の革新が背景にあったようです。

日本ではEvidence-based Medicine「根拠に基づく医療」と訳されることが多いようですが、統計的根拠に基づいた医療行為なのかどうか、が重視されるようになった、と言うことですね。現代からすると当たり前の感覚ですが、逆にそれまではかなり医療者個人の勘と経験に基づくものであった、と言えますね。

そこから派生して Evidence-based Practice : EBP、Evidence-based Health Care:EBHC:科学的根拠に基づくヘルスケア、Evidence-based Health Policy:EBHP:科学的根拠に基づく健康政策などの概念が出てきました。

(2) データヘルス計画とは?

―――なるほど、Evidence-based Health Policy:EBHPまで来ると、次に訊こうと思っていた「データヘルス計画」の趣旨がわかってきたような。

ですね、今では健康政策に限らず、あらゆる政策に根拠が求められますので説明責任を果たすのは大変な時代になりました(笑)。

さておき、厚生労働省のデータヘルス計画に関しては先ほど触れましたが、2013年に第2次安倍内閣「日本再興戦略」の成長戦略として位置づけられたものです。以後2014年に経済産業省が「企業の健康経営ガイドブック」を公表、また2017年には再度厚生労働省が「コラボヘルスガイドライン」を作成しました。

コメント 2020-07-18 050857を拡大表示

「データヘルス計画」はそれら一連の政策の基礎をなすものです。国の成長戦略として、レセプト(診療報酬の点数情報)や健診結果情報等のデータ分析に基づき、効率的・効果的な保健事業を実施しなさい、と健康保険組合に義務付けられたのです。

(3) 健康会計とは?

―――ちなみに「健康会計」という言葉が、アマゾンで健康経営関連の本を買おうと検索したところでてきたのですが、これはどういった考え方でしょう?

はい、その話はきっと経済産業省も喜んでくれそうですね(笑)。実は「健康会計」という用語は「データヘルス計画」よりも古く、2008年に経済産業省が提唱したものです。

企業による健康への取り組みを評価する新しい会計制度の呼称で、従業員の健康増進のために企業がどれだけ投資したか、その「費用」と「効果」を定量的に把握、可視化する仕組みとされました。健康投資に対する適切な意思決定を可能にするとともに、健康づくりに積極的な企業姿勢を広くアピールできるようにする狙いがあったようです。

これなどは、提唱から10年以上経った2019年4月現在、経産省のワーキンググループで協議されている「健康投資管理会計ガイドライン」の趣旨に近いように感じます。皮肉でも何でもなく、我が国官僚制度の徹底ぶりには感心しますね。エビデンスに基づいた健康政策を、執念に基づいて世に問うているように見えます。政策担当者の強い意志を感じます。

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【健康経営と新しいテクノロジー】

その1:チャットボット

―――注目している新しいテクノロジーにはどんなものがありますか?

はい、先ほども少し触れましたが、カジュアルなカウンセリングやコーチングの初期対応をおこなうチャットボットには非常に期待しています。国内の事例には触れましたので今度は米国との比較を。

もともと特に米国では、日本に比べてカウンセリングのマーケットが大きい、具体的には、利用者も多ければ1セッションあたりの単価もずっと高い状況です。ですのでチャットボットがそのマーケットを狙うのは自然な流れで、かつ英語の方が自然言語処理の技術蓄積もあるとされ、投資家からの資金調達もずいぶん進んでいるようです。

翻って日本の場合、確かにこれまでは心理的・経済的な敷居が高かったカウンセリングやコーチングも、初期対応をチャットボットが担うことで徐々に浸透していくのではないかと見ています。

ロボットが話し相手になる、というのは日本のアニメでは定番ですし、相手が生身の人間ではなく、悩み相談や認知行動療法に特化したプログラムである方が、深い悩みを打ち明けてもその後の対人関係、もとい対ロボ関係には影響しませんので(笑)。

あとはUI/UXのブレークスルーがあれば、この分野は一気に進むのではないでしょうか。

その2:アップルウォッチ、Fitbitなどのウェアラブルデバイス

―――ウェアラブルはどうでしょう?

特に意識せずとも自分の心拍や運動量、そしておそらく今後は業務集中度などが計測できるウェアラブルデバイスには非常に期待しています。

例えば日本のメガネメーカーのJINSは、まさにメガネそのものをウェアラブルデバイスとして活用する可能性を探っていますし、靴の底にIoTデバイスを組み込むようなアイデアや、肌着へのセンサー装着、など様々な形がありますが、今のところはなんと言っても、メール受信や電話での会話までこなせる、腕時計型のウェアラブルが先行しています。

自分でも5年ほど前にFitbitを買って試してみたのですが、当時は電池の持ちも良くなく、今ほど多機能ではなかったので数ヶ月で飽きて装着しなくなってしまいました。その後しばらくは普通の腕時計を使っていたものの、Apple Watch4が発売されてからは再びウェアラブルへの期待が高まり、購入して、以後は1日23時間ほど、充電時間以外はほぼずっとApple Watchをつけて生活しています。

対するFitbitは、Googleの親会社であるアルファベットに21億ドルでの買収が報道されましたが、あまりに巨大なマーケットを寡占する可能性があるため、アメリカでもヨーロッパでも独占禁止法に抵触しないかどうか、審査されているようですね。

期待と警戒の入り混じった対応がなされている、と言うことだと思いますが、Appleとは公正な競争があり、ユーザーにとって価値ある商品となりそうなら、私ももう一度Fitbit派に戻るかも知れません。あ、でもそのときはスマホもアンドロイドに戻さなくては(笑)。

その3:治療用アプリ・ゲーム処方

―――最後に1つ挙げるとしたら?

私たちは病院に行くと、医者が処方箋を書いてくれて、その用紙を薬局に持参して薬を処方してもらう、というサイクルにすっかり慣れていますが、これからは診察室で「このアプリをダウンロードしてください」と指示されたり、「次の診察までにこのゲームの第1章をクリアしておいてね」とロールプレイングゲームアプリのダウンロードを促される日がやってくるでしょう。

各国で、治療用アプリが医薬品や医療機器として認可されることが相次いでいます。日本でも禁煙アプリの認可は知られていますが、そのうち認知行動療法アプリや、発達障害患者さんを支援するようなゲームアプリ、大人用には職場人間関係や対人関係のシミュレーションを行うようなアプリがたくさん出てくるのではないでしょうか。

おそらくほんの数年後には、治療用アプリへのログイン頻度や、処方されたゲームの進捗履歴が電子カルテに自動で共有されて診察場面に活用され、診察室外では、患者さん同士のバーチャルな交流や、ゲーミフィケーションの要素を取り込んだ新しい治療スキルが発展しているものと思われます。

これまでとは全く異なる、斬新な発想から生まれた治療スキルで、私たちの生活が改善されていくのかと思うと、この分野の発展をウォッチしていくのも非常に楽しみであります。

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【ウェルビーイング支援ツールとしてのパルスサーベイ】

(1) パルスサーベイってなに?

―――これまでのお話の中で、健康や幸福の概念から、近い未来の働き方の在り方、各種の健康経営支援サービスまで語ってもらいましたが、いよいよ終盤になってきました。改めて、貴社が注力されているパルスサーベイについて教えてください。

従業員サーベイのうち、小規模で高頻度な調査を「パルスサーベイ」と呼び、情報通信技術やの進化やスマホの普及にともない、人材の流動性が高い欧米を中心に発展してきました。週1回や月1回といった高頻度で調査を実施し、社員や担当者への負担が少なくて済むよう、設問数も5~10問程度に抑えられていることが一般的となっています。

パルスサーベイでは、従業員の意識や心身の状態と業務アウトプットとの関連を、リアルタイムに近い状態で定点観測でき、個人から組織の健康状態までをカバーするサーベイとして、近年多くの企業に注目されています。

(2) パルスサーベイで何ができるの?

―――これまでの従業員満足度(ES)調査や、法定ストレスチェックとは何が違うんでしょうか?「パルスサーベイだからできること」は何ですか?

スマホやクラウドなどの情報通信の発達に伴い、従業員にとっては比較的少ない負担感で、直属の上長とは異なる報告ライン、具体的には人事総務担当者や健康相談業務担当者へ、業務や人間関係・体調に関する状況を伝えられる点が、各種サービスに共通する利点かと思います。

従業員満足度調査や法定ストレスチェックだけだと実施頻度が下がってしまいますし、そもそも紙文化の時代から連綿と続く大がかりな社内調査では、特に若年世代の職場に対する意識変動のスピード感をキャッチアップすることが難しくなってきています。

企業側にとっても、法定ストレスチェックやパルスサーベイなど、専門性が高く社員のメンタル状況など機微情報を扱うサービスは、内製化せず外注する傾向にあります。

これからの人事担当者には、モチベーションやエンゲージメントといった社員の心理面への配慮や支援から、健康状態に紐付いた業務アウトプットへの意識付けが求められるでしょう。

(3) 東大1項目版とは何ですか?

―――貴社で採用されている「東大1項目版」とはどんなものですか?

これまで何度か触れてきたプレゼンティーズム(Presenteeism)とは、「何らかの不調のせいで頭や体が思うように働かず、本来発揮されるべきパフォーマンス(職務遂行能力)が低下している状態」のことを言います。

これを「見える化」しよう、損失額を経営層に提示しよう、という試みは何十年も前からあり、各国で様々な評価方法が開発されてきました。しかし基本的には労働者本人へのアンケートをもとに計測するため、特に国際比較した場合は国民性や本人の性格傾向に左右され、自覚的な健康度や自己申告による業務アウトプットへのバイアスは排除できません。

例えば、WHOとハーバード大学が作成した指標を日本人労働者にそのまま採用した研究では、おそらくは業務アウトプットのアピールが控えめで中庸な回答を好む、などの国民性から、なんと職務遂行能力の低下は平均42%、という結果でした。これだと完全な健康状態で働いた場合と比べて、6割未満のアウトプットしか発揮できていない、ということになります。

―――驚愕の数値ですね。

東大1項目版はその名の通り、東京大学にて開発された指標ですが、日本の労働者の性格傾向に合わせて、プレゼンティーズムの意味をそのまま問いかけるもので、具体的には「病気やけががないときに発揮できる仕事の出来を100%として、過去4週間の自身の仕事を評価してください」との質問1問から成るものです。

これだとプレゼンティーズム損失割合の平均は15%、例えば総額人件費が10億円の企業では1.5億円が「従業員の心身不調によるパフォーマンス低下の総額」と推測されますので、人事部や健康管理部門は経営トップにその金額を提示し、経営層は損失改善のための健康投資プランを練ることが可能となります。

東大1項目版の場合は、アンケートで「過去4週間の自身の仕事」を評価してもらうものですので、月に1回のパルスサーベイとは非常に相性が良い、と言うことになりますね。

【まとめ】

―――「これからの健康経営を考える」と題したインタビューシリーズでしたが、掲載期間中にも様々な動きがありましたね。

はい、まずは短期集中掲載のつもりが半年近くの時間を要しましたこと、お詫び申し上げます。

おかげさまで健康経営をめぐる歴史的な流れから、産業保健と産業医の成り立ち、これから健康と幸福な社会参加とそれを支援するサービスなどについて網羅的な話ができたと感じています。

2020年4月から9月の間の健康経営をめぐる大きなトピックですが、6月には経済産業省から健康投資管理会計ガイドラインが公表され、そのエッセンスは8月から開始された健康経営優良法人2021認定の申請項目にも反映されたように見受けられました。

また新型コロナウイルスの影響で人びとの働き方やメンタルヘルスに大きな変化があったと認識しています。

このあたりに関しては今後、セミナーや弊社HPで引き続き発進して参りますのでよろしくお願い申し上げます。

―――2020年9月末時点での「これからの健康経営」について、改めてコメントしてください。

厚生労働省と経済産業省が両輪となって健康経営を推進していく、という大きな流れは変わらないと思われますが、7年8ヶ月近くに及んだ安倍内閣から菅内閣に交代した影響について考えてみたいと思います。

安倍内閣は経済産業省の影響が強いと言われてきましたが、菅内閣では政権中枢の顔ぶれは多少変わり、現時点では菅総理大臣の意向を反映した働き方や社会参加支援が進展するのではないかと期待が持てますね。

具体的には社会全体のデジタル化の一環として医療のオンライン化の進展、それに少子化対策や子育て支援を旗印とした働き方改革が促進されるのではないかと思います。

「2020年秋時点で考えるこれからの健康経営」で言うならば、引き続き各ステークホルダーの共通理解を醸成して対話を続け、健康経営を我が国の企業文化として定着させ、課題先進国と言われて久しい我が国から新たなウェルビーイングを世界に発信する、ことが目標になるのではないでしょうか。

健康経営の国際展開のためには、ますます日本的な価値観の発信が問われると感じています。これらについても、引き続きサービス提供を通じて考えつつ、セミナーなどでも発信して参りたいと思います。

読者の皆様にはこれまでお付き合いくださり、ありがとうございました。

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