※インタビューは2020年4月6日に都内にて行われました。

(聞き手:株式会社スーツ 代表取締役 小松 裕介)

【なぜ今、健康経営か?】

――― まずは、自己紹介をお願いします。

株式会社フェアワーク 代表取締役社長の吉田 健一です。約20年前に千葉大学を卒業し、東京医科歯科大学の精神科に入局して都立の総合病院や単科精神病院、クリニックの外来などを経験してきました。

開業前の数年間は千葉県の精神科医療センターとがんセンター緩和医療科の医長を併任していたのですが、そこで患者さんの社会復帰や社会参加の困難さを目の当たりにしたことで、11年前に職場復帰支援を一つの目的として、メンタルクリニック医療法人社団 惟心会 りんかい月島クリニック、りんかい豊洲クリニックを開業しました。

その後、産業医として企業の中に入り込んで仕事をすることに面白みを感じたので、資格を取り、東証一部に株式上場する大企業や中央省庁などの産業医を続けてきました。

2019年9月に株式会社フェアワークを設立し、パルスサーベイの普及や「健康かつ幸福に社会参加すること」の実現を目指しています。

パルスサーベイとは?

――― パルスサーベイとは具体的に、歴史も含めて教えてください。

「パルス」と言うぐらいですので、1週間や1ヶ月程度の短い間隔で5問から10問程度の質問を繰り返していくことで、従業員の心身のコンディションや仕事に対する姿勢などを調査するものです。

これは概ね2010年代、主に欧米から、ICT技術の発達に伴い新しい組織管理の手法として発生してきたと認識しています。私が始めてこの言葉を知ったのがウォールストリート・ジャーナルの2014年12月の記事ですが、日本でも数年前からサービス提供する事業者が出てきた印象です。

「健康経営」の概念と歴史

――― 最近、「健康経営」という言葉をよく耳にしますが、健康経営とはどのようなものでしょうか?

概念としては、アメリカから出てきたと考えて良いと思います。

アメリカは公的な国民皆保険制度がなく、従業員の健康保険料は企業側が多くを負担して民間保険会社に支払います。その場合、現在、新型コロナウイルス問題でも報道されているように、失業=無保険になるというリスクがあるので、労働者にとっては雇用と健康の維持はまさに死活問題となっています。

企業側からすると、決して安くない保険料を負担しているのだから、従業員には健康かつパフォーマンス高く働いてもらいたいという思いがあり、社員に健康プログラムを積極的に提供して、そのコストパフォーマンスをモニターする必要があるのです。

――― 日本ではどうでしょうか?

日本では、大阪ガスの統括産業医でいらっしゃった岡田先生を中心に、2006年に「健康経営研究会」が大阪で設立されています。西日本にはメーカーや工場が多く立地することもあり、カイゼン運動やQCサークルのような活動が、以前から盛んだったことと関連していると思われます。

その後、経済産業省が音頭を取って、少子高齢化に伴う労働人口減少など、このままでは日本が立ちゆかないから健康経営を国策的に推進していきましょうという流れが出てきました。

健康管理を経営的視点から考え、 戦略的に実践し、そのコストパフォーマンスや業績へのアウトカムを見ていく、これが基本的な考え方になります。

――― 健康投資という言葉もよく耳にするようになりました。健康投資とはどのようなものでしょうか?

従来から経営資源としてヒト、モノ、カネ、あるいは、それプラス情報と言われてきましたが、企業にとっての根本的な経営基盤となる資源は、やはり従業員の健康である、との考え方から、健康経営を実践するための具体的な取り組みや投資、そして、それぞれに目標値、KPI(Key Performance Indicator ; 重要業績評価指標)を設定して投資対効果も見ていこう、という考え方が健康投資になります。

【参考資料:経済産業省ヘルスケア産業課資料

そもそも健康って何でしょう?

――― 健康経営、健康投資と説明していただきましたが、そもそも健康とは何でしょうか?

「健康」とは単に、病気でないとか弱っていないということを指すものではありません。1946年のWHO憲章では、それに加えて「肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた(well-beimg)状態にあること」としています。

じつはこの定義、1998年のWHO執行理事会にて、新定義として「dynamic」と「spiritual」の用語を追加する旨、総会提案とすることが採択されたのですが、実際には審議入りしないままとなっています。ご関心のある方は日本WHO協会のサイトをご覧ください。(参考| 健康の定義について | 公益社団法人 日本WHO協会

ところで「健康」という熟語には「健やか」と「康(やすし)」と2つの漢字が使われていますが、やはり「健やかな身体に、安らかな心」と心身共に良い状態である、と読み解けると思います。

WHOや厚生労働省が依って立つwell-beingと似た用語に「wellness ; ウェルネス」がありますが、こちらは1960年代に作られた造語で、健康を基盤にして自らより良い人生をデザインしていく生き方、を指しています。いずれにしても、「心身共に良い状態・善き人生」への指向は、人類普遍の価値観と言えるでしょう。

善き人生のための健康経営

――― 健康経営、健康投資は「働く」という言葉に紐づいていると思いますが、健康的に働くとはどのようなことでしょうか?

「働く」を、賃金労働という意味だけで捉えるのではなく、社会を構成する一員としてその社会に参加し、価値を交換する営み、と考えたいですね。

弊社は経営理念に「全ての人々が 健康かつ幸福に社会参加する世界を創る」を掲げているのですが、金銭的報酬を得ることだけが「働く」ではなく、自らの意思と能力で社会参加して世の中に価値を提供していく、そして、その対価として報酬を受け取る、という状況を「働く」と捉えています。

ですので、私は「身体が健康なだけでなく、心も満たされた状態での社会参加」が健康的な働き方ではないかと思います。

――― では改めて、なぜ今、健康経営が求められているのでしょうか?

歴史を振り返ると、南北の経済格差や東西の政治的対立は、ひと世代前に比べて小さくなったと言えるでしょう。

例えば比較的単純な工場労働は発展途上国に任せておけばよく、西側先進国は知的労働を担う、といった色分けは曖昧となり、フラットになってきています。そもそも西側先進国、という用語もあまり意味を持たなくなってきました。

また、昭和20年代後半には男性の平均寿命は60歳だったのが、現在は80歳を超えて「人生100年時代」と言われるほどですから、60歳定年どころか、あと20年は働きましょう、先ほどの言い方ですと、できる限り社会参加して幸せに世の中に価値を提供していきましょう、という世の中になりました。

クラウドワーカーやギグワーカーと呼ばれる労働者のように、企業に所属しない働き方も近年では増えてきています。個人の働き方や働く期間、それに働く人と組織の関係性が変化していく中で、個人と組織はお互いに相手に何を求めるのか。

双方が「良き人生」や「良い組織」の価値や意味を再確認しながら、社会的価値を生み出して行くことが不可欠な時代だからこそ、今、健康経営が求められていると思います。

【良い労働環境とは?】

――― 良い労働環境とは、どのようなことでしょうか?

前回の話の続きから始めましょう。

「働く」を「社会参加して生み出す価値を交換する営み」と捉えると、良い社会参加のあり方として、社会的な分業効率や参加者のやりがいなどの観点が必要かと思います。すると、賃金という捉え方は、一つの側面に過ぎなくなってくるのかもしれません。

そのあたりは産業医や精神科臨床医としての体感的にも、昔からは大きく変わってきていて、バランスの良い時間配分で効率良く働く、休む時はしっかり休養を取り、さらに自分の望むキャリアアップを目指す、働く場所や時間など物理的な自由も確保する、など社会参加の在り方として自由度が増していると感じます。

また、ちょうどこの6月からハラスメント対策関連法案が施行されますが、近い将来においては「自他問わず、誰のネガティブ感情にも左右されない働き方」が良い労働環境としてクローズアップされてくると思います。

(参考:あかるい職場応援団 -職場のハラスメント(パワハラ、セクハラ、マタハラ)の予防・解決に向けたポータルサイト

――― キャリア形成の観点での良い労働環境とはどのようなことでしょうか?

キャリアについて、社会参加を念頭に置いて考えると、たとえば20代での社会参加のあり方と60代での社会参加のあり方は違います。

年齢を重ねるにつれライフスタイルや家族構成が変わってくる中で、スキルはもちろんですが、仕事に対する姿勢や優先順位が変わっていきます。

今後はそのことを念頭に置きながら、キャリアを考えていくことになると思います。

テレワークの広がりは労働環境への意識を変えるか

――― 前回クラウドワーカーの話がありましたが、ワークスタイルという観点での良い労働環境とはどのようなことでしょうか?

テレワークやクラウドワーカー・ギグワーカーといった働き方が一般化し、労働環境や労働条件に占める居住地や通勤距離などの物理的な縛りが緩むと、働く個人にとってはいかに快適に幸せに、かつ、効率よく社会へ価値提供できるか、を重視する時代になると感じます。

労働環境が個人の生活を規定し、その条件下で幸福を最大化する時代から、個人が大切にしたいことや思い描く幸福を、労働という社会参加の中で模索していく時代になるのではないでしょうか。

ハラスメントのない職場環境は可能か

――― 近年、セクハラやパワハラなどのハラスメント関連のニュースが後を絶ちません。ハラスメントという観点での良い労働環境とはどのようなことでしょうか?

幸福に健やかに社会参加するという意味で、ハラスメントのない労働環境を目指したいですね。ライフスタイルやライフステージに応じた公正な社会参加で、かつ、ハラスメントのない環境が望ましいでしょう。

しかし、実際の職場には、色々な考え方や性格傾向を持った人間がいますし、軋轢や縄張り争い、支配感情や嫉妬心、過度な承認欲求などの悪い感情を抱く人もいて、そこからハラスメントが起きてしまうのが現実です。会社としては、それをどう克服するかが課題となります。

現在、新型コロナウイルス感染症により急速に広がっているテレワークがより進めば、少なくとも対人接触は減るのでハラスメントも減るのかもしれません。

またAIを活用した人事評価が可能となり、昇進や業務の割り振りにネガティブ感情の入り込む余地が少なくなればハラスメントも減るのでしょうが、人間側がそれに慣れるまでには、時間がかかりそうですね。

バランスからインテグレーションへ

――― これからのワークライフバランスについて教えてください。

ワークライフバランスに関しては、働き方改革が叫ばれるずっと以前から課題と認識されてきましたが、2008年に経済同友会が「ワークライフインテグレーション(仕事と生活の融合)」に関する提言を公表しており、ワークとライフを切り分けて時間配分を考えるというニュアンスではなく、より高い次元で統合して社会生活と私的生活の双方を充実させよう、という考え方がますます強まるものと思われます。(参考:21世紀の新しい働き方 「ワーク&ライフ インテグレーション」を目指して | 経済同友会

ここで、歴史上初の株式会社であるオランダ東インド会社の名前を思い出していただきたいのですが、そもそも会社とは、意志と能力のある創業メンバーが、ある目標を持って出資者を募り、一緒にその目的を達成しようとする人々がその旗印に集まって始まった、という歴史があります。

現代でも、出資者や労働者が企業の創業理念に共感することが大前提で、企業側からすれば、掲げた理念を実現するために、どのようなワークスタイルが各労働者にとって幸せなものであるか、業務をどのように分担し目標に近づいて行くか、は重要課題です。

イギリスの産業革命から300年、日本の場合は明治維新から150年。近代以降、一般の人びとが、それまでの農業や家内制手工業から「外へ働きに出る」際は、工場や現場の近くに住み込んだり、郊外の自宅から都市部のオフィスへ通勤したりと、いずれも居住や通勤の面では一定の縛りを生じるモデルでした。

つまりこの2-3世紀は「物理的な労働集約モデル」がずっと続いてきて、経済合理性もあったのですが、ここ30年の情報通信技術の発展に伴い大きなシフトチェンジが起こっていますね。新型コロナウイルス感染症の影響で、その流れは加速するでしょう。

誰しも、完全な孤立状態やまったくの独力で生きていくことは困難です。社会参加し、社会生活を営むのが人間の本質であり、近代以降はいずれかの組織に所属し、労働の対価として賃金を得ることが多くの人の生活基盤となってきました。

しかし、先ほど述べた「物理的な労働集約モデル」から、より自由度の高いワークスタイルが可能となりつつある現在、ワークとライフを対立的に捉えてオンオフ的にバランスを取るというよりも、どうインテグレーションを実現していくかが重要になると思います。必ずしも仕事と私生活はトレードオフの関係にはないと思いますし、好きな場所で、適度な時間、心地よい関係性の中で働く、などバランスを重視する時代になっていくのではないかと思います。

書類に向かうビジネスマン

【産業医って何をするの?】

――― 今まで吉田先生がやられてきていた産業医とはどのような職業ですか?

産業医の資格や業務は、日本では労働安全衛生法に規定されています。50人以上の事業所では嘱託産業医と言って原則として毎月職場巡視などを行う産業医を選任(契約)しなければならず、1,000人以上の事業所になると基本的に常勤で産業医を雇用(専属産業医)しなければなりません。

私が各事業所を訪問し、産業医面談でお会いする社員さんの殆どは、その職業人生で初めての産業医面談となりますので、役割を分かりやすく説明するために「従業員の皆さんに、健康に生き生きと働いてもらうためのお手伝いをするのが産業医です」とお伝えしています。

せっかくですので諸外国の制度もご紹介しましょう。少し古い資料ですが、いわゆる西側先進国とされてきたG7の中で比較すると、アメリカ・イギリス・カナダは、公的な産業医資格もなければ選任義務もありません。ヨーロッパのドイツ・フランス・イタリアの3カ国プラス日本はその逆で、企業規模に応じて、資格を持った産業医を選任しなければなりません。

諸外国の産業医及び産業保健サービス機関に関する制度(総括表)を拡大表示

ではアメリカ・イギリス・カナダでは産業医的な職能は不要なのかというとそのようなことはなくて、各国で労働安全衛生法に相当する法律が整備されており、民間企業が個別にEAP(従業員支援プログラム)や産業保健サービスを契約しています。

産業医の選任義務がない米国において、1980年代に経営心理学者のロバート・H・ローゼンが「社員が健康でいることこそが収益性に優れた企業を作る」とする「ヘルシー・カンパニー」という概念を提唱し、それが日本で言う「健康経営」のモデルとなったことは象徴的です。

英米圏では日本のように産業医の選任義務がないぶん、各企業は従業員健康管理のメリットを認識しているからこそ自発的に産業保健の専門家を雇用しデータを蓄積しているわけで、産業保健関連の支出に対するコストパフォーマンス意識は、我が国と比べて相当に高いものと推測されます。

「普通のドクター」とはどう違うの?

――― 普通のドクターとの違いは何でしょうか?一般の読者の方がイメージしやすいのは通常の医師の仕事ですよね。

病気の方に、元通り社会参加してもらうために治療をするのが通常のドクターの業務と考えて良いと思います。

例えば私が専門とする精神科の場合、気分障害と統合失調症が2大精神病と言われており、薬物療法や精神療法・生活指導などを通して、患者さんに会社や家庭や学校生活に戻っていただく支援をする。臨床活動に軸足を置き、患者さん個人やその方の所属する家族・地域を視野に入れた疫学的・公衆衛生的な観点で仕事をするドクターもいるでしょうし、私自身も臨床医としてはその視点は忘れないようにしたいところです。

その一方で、組織全体の生産性と紐付いた従業員の健康状態について考え、どのように生産性を上げ、かつ幸せに働いてもらうか、ということを考えていくのが産業医の仕事だと認識しています。また、産業医の場合は普通の臨床医とは違って治療行為には関わらないのが原則で、立ち位置は労働者側でもなく雇用側でもなく、中立的な立場で活動することになっています。

これからの産業医の役割はどうなるの?

――― 最近、新型コロナウイルス感染症のこともありオンライン診療が広がるなど、医療の形も変わってきています。歴史を振り返って、今後、産業医という仕事はどのように変わっていくと思われますか。

世界的には、古くは軍医や、船に乗り込んで働く船医が、産業医の原型と言えるでしょう。ちなみに世界史上、最も著名な船医としては、イギリス海軍測量船ビーグル号の船医で、19世紀半ばに進化論を唱えたチャールズ・ダーウィンが挙げられます。

我が国では明治維新以降の文明開化で近代的な軍隊を整備したり、工場が設立されたりで人びとが密集して仕事をするようになり、軍の戦力や工場の生産性を維持するために、現在で言う産業医の役割を担う医師が必要となりました。ですので日本の歴史上、今で言う産業医としての役割を担った有名人は、軍医総監であった森鴎外ということになりますね。

森鴎外の頃はマラリアや結核といった感染症対策、それに脚気などの栄養学の知識が求められていたのですが、第2次大戦を前に国家総動員体制を敷いた1938年、旧工場法において、今で言う産業医の職務が「工場医」として規定され、第2次大戦後は労働基準法や労働安全衛生法に引き継がれています。

戦後の高度成長期は、職場での事故や怪我、有害物質といった労働災害対策が中心でしたが、その後は生活習慣病やメタボ対策、近年ではメンタルヘルス不調やがん就労支援などがテーマになってきています。これからの人生100年時代、75歳くらいまでの就労が標準となる時代を迎えると、冗談抜きに「職場の認知症対策」が真剣に議論されるかも知れませんね。

近い未来の産業医の仕事ですが、現在も進行中であるITを活用した遠隔産業医業務や、一部の大企業では採用されている診療科ごとの専門分化への対応、中立的立場から従業員のライフステージに配慮しつつ企業の理念実現を支援する、という方向で専門性を発揮していくことが求められると思います。

【メンタル不調って何ですか?】

――― そもそも、メンタル不調とはどのようなものでしょうか?

体と心はお互いに影響を及ぼし合っている、と言うことはイメージが付くと思います。

それを「心身相関」と呼び、よりメンタル寄りに顕在化してきたもの、例えば、大きな心配事があって夜寝付けない、焦りの気持ちが強まり仕事が手につかない、といったことが初期のメンタル不調です。このレベルであれば、どなたでも経験があると思います。

それがもう少し進むと、考えがまとまらない、同じ文章を読んでいても頭に全然入らない、悲観的な方面にばかり気持ちが引っ張られて自分を責めてしまう、などがメンタル不調の代表的な症状になります。

2大精神病として気分障害と並び称される、統合失調症という別の病気になると、例えば、自分の電話が盗聴されているといった被害妄想などを呈しますが、これもメンタル不調です。

なので、気分や精神に関する不調の全てを、メンタル不調と呼んで構わないと思います。

今まではどのように対応していたのでしょう?

――― メンタル不調に対して、産業医はどのように対応するのですか?

歴史的には、産業医の仕事に占める精神疾患への対応の割合は、現在ほどは大きくありませんでした。

先ほどの軍医の話で言えば、昔は軍隊における結核やコレラやマラリアのような、職場の感染症対策が大きな仕事でした。しかし戦後、医学の進歩や衛生状態・国民の栄養状態の改善につれ、次第に労働災害対策や生活習慣病などの慢性疾患対策が中心となり、バブル経済後はメンタル不調になってきた、という流れです。

今後は職場のがん・いずれは認知症対策も課題に

これまで職場の労働災害や生活習慣病対策は十分に機能し、成果を上げてきたと考えますが、少子高齢化と労働人口の減少・人生100年時代を迎え、長く健康に働くことや幸福に社会参加することに価値が見出されるようになると、職場が労働者に提供するサービスとしては、メンタル不調とがんサバイバー社員への職場復帰支援が重要になってくると思われます。

がんに関しては、概ね50代半ばまでは女性の罹患が多く、その後急速に男性のがん罹患ケースが増えることが知られています。ちょっと古いフレーズですが「一億総活躍時代」を迎え、労働者に占める女性や高齢社員の割合がますます増えるますので、職場のがん対策の重要性もいっそう増していくことでしょう。

またこれは半分冗談のような話ですが、日本でもいずれ年齢による一律の定年退職が撤廃されると、長期的には職場の認知症対応が求められるのでは?とも考えています。

既に、ビジネス誌などでは高齢経営者の認知機能障害が経営リスクになりうる、という特集が組まれています。認知症の中核症状である記憶障害や判断力の低下は、経営者にとっては間違いなく「不都合な真実」でありますが、こういったデリケートな問題もいずれ産業医が扱う時代が来るかも知れませんね。

メンタル不調社員への対応

――― 企業にメンタル不調の方は、どのくらいいるのでしょうか?

一般的に、全労働者の約2%が、うつ病状態のまま就労していると言われています。

そして、その2%のうち、治療を受けている人は半分以下と推測されています。本人もメンタル不調の自覚がない・あるいは認めたくない、周りからも不調とは見なされていない、という方が過半数です。

このような方をどうやって見つけていくか、どのように専門家に繋いでいけるかが課題です。

2015年に50人以上の事業所で義務化されたストレスチェック制度では、約10%の社員が高ストレス判定となりますが、厚労省のデータでは、実際に産業医の面接指導を受けた社員は、0.6%に留まります。

そもそも残念なことに、義務化されたとはいえ、労使共にメリットを実感しにくい現行のストレスチェック制度の実施率は、昨年のデータでは既に低下の兆しです。その点が、私がパルスサーベイに期待する理由でもあります。

テレワーク・AI・次世代型の成果主義

――― 最近、テレワークのようにオフィスにおらず遠隔で働く方も増えていると思いますが、遠隔での勤務によりメンタル不調は増えていくのでしょうか?

職場の人間関係から離れて仕事ができ、通勤負担も軽減されるので、やってみたら楽だったという人、あるいは、職場の親しい人たちと顔を合わせられなくなり、適度な雑談もできないのでストレスが溜まるという人、双方の声を聞きます。

一概にストレスが増えるか減るかは本人の性格傾向や働き方の特性にも左右されるでしょうが、オンとオフのメリハリがなくなり、通勤や社内の歩行が多少なりとも運動機会になっていた人にとっては運動不足も相まって、かなりストレスが溜まるものと推測されます。

とはいえ、テレワークが浸透し、職場での対人接触が減り、上長からの業務指示や指導のログが全て残るようになると、ハラスメントも今までほどは起こりにくくなるのではないでしょうか。その点は明るい展望を持っていますが、ポストコロナの働き方を考えると、ITやAIを活用した次世代型の成果主義が台頭すると思われ、ビジネスパーソンにとってはますます気が抜けない時代となるか、週の労働時間が半分になってハッピーな時代となるか、は現時点で不透明ですね(笑)。

【ストレスチェックって何?】

ストレス概論

―――ストレスについて教えていただけますか?

ストレスという用語は、もともとは外的な圧力によって歪みが生じた状態を指します。風船を凹ませた図に例えてみると、風船を押さえる力をストレッサーと呼び、ストレッサーによって風船が歪んだ状態をストレス反応と言いますが、皆さんも職場の研修などで、風船が拳で押さえつけられた図を見たことがあるかも知れませんね。

医学や心理学においては、外部から心身への刺激をストレッサーと呼び、ストレッサーに適応しようとして、こころや体に生じたさまざまな反応をストレス反応と言います。心身に対するストレッサーは、暑さや寒さ・騒音や混雑などの「物理的ストレッサー」、有害物質・薬物・低酸素や一酸化炭素などの「化学的ストレッサー」、それにもちろん人間関係や経済問題・家庭問題などの「心理・社会的ストレッサー」などあらゆる事柄ですが、通常私たちが「ストレス」と言う場合、この「心理・社会的ストレッサー」のことを指しますね。また職域においては、仕事の量や質、対人関係をはじめ、さまざまな要因がストレッサーとなるのはご存じのとおりです。

とは言え、ストレスは必ずしも忌避するべきものではありません。

個人的・組織的な目標を達成しようとする際には当然に適度なプレッシャーが必要ですし、それをクリアしようと努力するからこそ、達成時の喜びや成長実感を得られるのです。一方で、ストレスが過度になると押しつぶされてしまったり、燃え尽きたり、果てはメンタル不調になる場合もありますので、何事もバランスが大切、と言うことになりますが。

いずれにせよ、各人においてこれぐらいの負担感や負荷状況で業務に取り組むのが適切、という均衡点があるはずので、そのバランスをうまく取れるよう支援するのが、企業側のストレスマネジメントではないでしょうか。

ストレスチェック制度について

―――義務化されているストレスチェックとはどのようなものでしょうか?

「ストレスチェック」とは、ストレスに関する質問票(4者択一)に労働者が記入し、それを集計・分析することで、自分のストレスがどのような状態にあるのかを調べる簡単な検査を指します。

「労働安全衛生法」の改正により、労働者が50人以上いる事業所では、2015年12月から、毎年1回、この検査を全ての労働者に対して実施することが義務付けられたものです。

実施の目的は、労働者が自分のストレスの状態を知ることで、ストレスを溜めすぎないよう対処したり、ストレスが高い状態の場合は医師の面接指導を受けて助言をもらったり、会社側に仕事の軽減などの措置を実施してもらうなど、職場の改善につなげることで、メンタルヘルス不調を未然に防止するための仕組みです。

我が国の高度成長期を支えた第2次産業の中心である工場では、いかにムリ・ムダ・ムラなく効率よく生産活動を行うか、という考え方があったと思います。各職場において改善活動を実施する中で、心身の負担が大き過ぎると逆に生産効率が落ちてしまうという考え方が出てきました。

各地の好事例を体系化する調査を始めたのが約20年前になります。現在のストレスチェックで標準的に用いられている、職業性ストレス簡易調査票57問版が公表されたのが2005年のことです。

―――ストレスチェックはどのような企業に課されてされているのですか?

法改正により義務化される以前から、大企業では自主的にストレスチェックに取り組むところが多くありました。なので大企業にお勤めの方は、ストレスチェックや社員満足度調査を含む社員アンケートとして、以前からなじみがあったと思います。

改めて労働安全衛生法に規定されたことにより「50人以上の従業員を雇用している事業所ではストレスチェックを実施すること」となりましたので、基本的には上場企業はほとんど該当しますし、非上場でも50人以上の事業所が1つでもある企業の場合、基本的には全社的にストレスチェックを実施するケースが多くあります。

現在、日本に被雇用者が約6,000万人いる中で、ざっくり半分ほどの方はストレスチェックを受けているものの、残りの中小零細企業勤務の方はストレスチェックを受けていない状況だと思います。

議論としては現在「50人以上の事業所」とされている基準をいずれ「30人以上」としてストレスチェックの対象となる労働者の割合を増やす、等がありますし、おそらく別の機会にお話しすることとなる「新職業性ストレス簡易調査票短縮版80問版」が、ストレスチェック義務化6年目を迎える2020年12月以降は、標準質問セットとなる可能性もあります。

(⇒ 中編へ続く

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